THE COPY TRAVELERS by THE COPY TRAVELERS

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ARTIST: 
THE COPY TRAVELERS
加納俊輔迫鉄平上田良

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EVENT

2015年7月20日[月・祝] 16:00 - 18:00

2015年7月26日[日] 17:00 - 19:00

 

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この度NADiff Galleryでは、京都を拠点として活動する美術家、加納俊輔、迫鉄平、上田良が協働したユニット“THE COPY TRAVELERS”の展覧会を開催いたします。
 “THE COPY TRAVELERS”において3人のアーティストは、それぞれの制作に取り入れている「複製」という手法の可能性を、コピー機、スキャナ、カメラなどのツールを用いて実験し、60枚の印刷物からなるアーティストブック『THE COPY TRAVELERS by THE COPY TRAVELERS』をつくりあげました。本展は、その本をきっかけとして、コピーというものの可能性の実験をギャラリー空間において展開するものです。

協力:Maki Fine Arts, BLUE ART


●EVENT

「THE COPY TRAVELERS、メディウム論、あるいは美術/写真史における共同制作について」
開催日時:2015年7月20日[月・祝] 16:00 – 18:00(開場:15:30)
出演:甲斐義明(写真史/20世紀美術史),星野太(美学/表象文化論)
入場料:500円(おまけ付き)

「マイクリレー、サンプリング、タグの上にはスローアップ──THE COPY TRAVELERSにおけるHIP HOP性」
開催日時:2015年7月26日[日] 17:00 – 19:00(開場:16:30)
出演:安東三(アラザルポッセ),西田博至(批評家)、出品アーティスト
入場料:500円(おまけ付き)
*終了後クロージングパーティー

各回のご参加方法について
会 場:NADiff a/p/a/r/t 1F
参加費:500円 定員30名(それ以降は立見)
ご予約:NADiff a/p/a/r/t TEL. 03-3446-4977 mail: webshop@nadiff.com


●新刊情報

『THE COPY TRAVELERS by THE COPY TRAVELERS』通常版
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著 者:THE COPY TRAVELERS
発行者:BLUE ART
価 格:6,000円+税 限定90部

NADiff先行発売:2015年7月7日[火] >> Online Shop

『THE COPY TRAVELERS by THE COPY TRAVELERS』SP版
著 者:THE COPY TRAVELERS
発行者:BLUE ART
仕 様:書籍+DVD+A1サイズポスター+トートバック
価 格:10,000円+税 限定10部

NADiff先行発売:2015年7月20日[月] 発売予定
>> Online Shop


●TEXT

 トルーマン・カポーティの小説「ティファニーで朝食を」のヒロイン、ホリー・ゴライトリーのアパートメントの郵便受けの名札入れには、いささか風変わりな「名刺」が入っている。名刺には「Miss Holiday Golightly」という名前が書かれているが、その下の隅、通常は住所が書かれるべきところには、「Traveling」と一言書かれているだけだ。その人物がそこにいることを示す住所の欄に「Traveling」と書いて自宅の表札にするのは、とらえどころのない自由で溌剌とした女性ホリーに似つかわしい。しかし「その場所」にいながらにして旅に出ているのは、何もホリーだけではない。

 「THE COPY TRAVELERS」は、彼らの実験/制作において、何を行なっているのか。イメージの扱い方に関して端的に言えば、それはイメージにイメージを重ね合わせること、つまりはコラージュである。重ね合わせられるイメージは、いわゆる現実の世界を撮影した写真であれ、もともと看板やポスターとして存在しているイメージであれ、さらにはイメージとは言いがたいものであれ(ドローイングでさえ、イメージとして扱えばイメージになるのだから)、何でも構わない。ディスプレイ、カード、本、メッシュ、ファインダー、板、レコード、映画、原稿台、ドローイング、エトセトラ。イメージが宿るメディウムの差異は、ここでは本質的な差異ではない。
 ところで「travel」という英単語は、フランス語の「travail(労働)」と同じ語源を持つそうである(それはラテン語の「trepalium(責め道具)」、すなわち「tres(3つの)」+「palus(棒)」である)。3による拷問。「THE COPY TRAVELERS」を名乗る彼らのコラージュも、旅であると同時に労働、そして拷問でさえあるだろう。彼らはカメラとスキャナとコピー機を使い、イメージにイメージを積み重ね、そのイメージにさらにイメージを積み重ね、それを繰り返し、そのプロセスそれ自体に負荷をかけてゆく。イメージは世界を切り取ったものであるという意味で、世界はイメージの根拠であるが、その過程においてはそれと同時に、積み重なったイメージこそが世界を作る。その時イメージは世界の原因となる。
 「積み重ね」ると書いたけれども、しかし、重ね合わせることが積み上げることとイコールであれば、それほど旅から遠いものもないだろう。もともと安定した大地に、イメージを積んでゆくこと。重要なのは、「THE COPY TRAVELERS」の制作を、そのように理解してはならないということである。彼らのコラージュはその種の労働からは遠く隔たっている。彼らの実験はむしろ、言わばテリー・ギリアムの映画『未来世紀ブラジル』のような、グッド・エンドかと思われたものをすぐさまバッド・ビギニングに塗り替えてゆくヒップ(hip)な仕切り直しであり、かけ合いによって、安定しかけた空間にすぐさま楔を打ち込んでいくようなコラージュなのだ。
 コピーも含め、カラー印刷においては通常、CMYK(シアン、マゼンタ、イエロー、ブラック)の4色のインクの重なりがすべての色調を表現する。その意味で印刷は、インクとインクを、さらにはそれらと紙を、重ね合わせることによる一種の彫刻であると言える。そして印刷においてタブラ・ラサ(白い紙)を、彫刻においてまっさらな量塊を(絵画において真っ白なキャンバスを)、造形に対する所与として設定することはできない。というのは、抽象的に言って、彫刻において素材を「ひと彫り」することは、作品の全体、すなわち彫るという行為の前提条件をも変容させてしまうからである。
 「THE COPY TRAVELERS」のコラージュもそのような意味で、積み上げることよりも変身することに似ている。イメージとイメージの重ね合わせの都度、空間の全体が生まれなおす。だからコラージュを、イメージの透明な層を重ねることだと考えたり、あるいは見えの問題に還元しようとしたりする「写真的俗説」は誤りである。詩人が言葉を重ね合わせることで素材とはまったく異質な詩という全体を生むように、 「THE COPY TRAVELERS」は、イメージを重ね合わせることで造形的な詩を紡ぐ。イメージが世界の原因となるというのは、そういうことなのだと思う。

 原稿の複製を手軽にプリントして積み上げることができるコピーという技術は、ともすれば旅からもっとも遠いもののように思える。暴力的に単純化すれば、コピー機によるコピーとは、スキャニングと印刷を同時に行なうことができる技術のことだ。たとえばコピー機(PPC式)は、原稿に光を当て、電荷を利用して感光体にトナーによる像を形成し、それを紙へと転写することで、原稿のイメージを即座に物質化することができる。それは言わば電荷を利用して瞬時に版を作る、版画や印刷の側から見ると反則のような技術である。コピー機の原稿台で読み取れる原稿であればどんなものでも、紙とトナーによってその複製を物質化することができる。
 マルティン・ハイデガーは『存在と時間』において、道具的な存在のあり方を、道具が「手元にあるということ(Zuhandenheit)」を通じて開示し、それぞれの道具にはそれぞれ「その場所がある」と述べている。道具は通常、その用途へ向かって、全体の意味連関の中に位置づけられて存在する。しかしコピーは、あらゆるものを簡単に複製して手元に置いておくことを可能にする技術であり、それゆえに道具的な連関を容易に裏切ってしまうのではないだろうか。ホリーの居場所を示すはずの表札に「Traveling」と書かれているように、コピーが可能にするのは、手元にあること、「その場所」にあることがむしろそのまま旅に出ていることになるようなあり方ではないだろうか。
 本の奥付にはよく、「私的使用の範囲を除き複製を禁じる」という主旨の但し書きがある。しかし「私的使用のための複製」と「そうではない複製」のあいだは、どれほど離れているのか。コピーはあくまで「私的使用」のための技術であり、コスト的にも速度的にも、何かを大量に印刷するならば、たとえばオフセット印刷にまったく敵わないのは確かだが、それはあまりにも良識的な見方である。
 美術史においても生活においてもインターネット上においても、イメージのアプロプリエーションが徹底して常態化した現在において起りうるのは、むしろコピーといういささか風変わりで旧世代的な技術が、「私的使用」という画定された境界を飛び越え(hop)、著作権に基づいたイメージの所有体制の基盤を脅かすことである。それはすべての行為が個人=主体の意志によって為されたものだと断じ、保護すべき対象とは無関係にイメージの権利を保護することそれ自体が目的化した言わば「再帰的近代化」(ウルリッヒ・ベックおよび、アンソニー・ギデンズ)の運動にからめとられた現在における、パンクとしてのコピーの闘争である。
 およそ能力というものは常に、その限界を超えて使用されうる(それはジル・ドゥルーズやミシェル・フーコーが、それぞれカント哲学に対する独自の読解で鮮やかに示していることだ)。したがってその形式化である諸技術は、通常の道具的連関を超えて拡張的に使用されれば、常にその技術そのものから逸脱してしまう。そしてアーティストとは、非道具的な目的を投企し、その具体的な達成のために、技術を逸脱的に使用する者のことである。

 「翻訳者は裏切り者(Traduttore, traditore)」というイタリア語の警句がある。どんな翻訳も原文の意味を忠実に伝えることはできない、あるいは、翻訳には誤訳がつきもの、という意味だ。「THE COPY TRAVELERS」にも同じことが言える。コピーとは、トナーと紙による「本物のまやかし」である。しかしそもそも、彼らが行なうような共同制作というものこそ、人が他者の主体性によって自らを裏切り、拡張し、変容させてしまうプロセスのことではないだろうか。「THE COPY TRAVELERS by THE COPY TRAVELERS」は、そのような意味で、3人の美術家のかけ合いが各自の散逸をもたらすことではじめて生まれる作品であり、「その場所」にいながらにしてすでに行方がわからないホリー・ゴライトリーのような、裏切り者としての旅人の作品である。「結局のところ、私が明日どこに住んでいるかなんて、わかりっこないでしょう。」

櫻井拓(BLUE ART/編集者)

*「travel」という英単語の語源については、北白川学園の山下太郎氏の、以下のサイトでの記述から学ばせていただいた。「ことばの歴史をたずねる旅」 http://www.kitashirakawa.jp/taro/eigo57.html
*カポーティの「ティファニーで朝食を」の日本語訳の引用は、村上春樹訳の新潮文庫版からのものだが、引用者のほうで一部変更を加えた。


●Profile

加納俊輔|Shunsuke KANO
1983年、大阪府生まれ。現在、京都府在住。2010年京都嵯峨芸術大学大学院芸術研究科修了。主な展覧会に「Cool Breeze On The Rocks」(Maki Fine Arts, 東京, 2015)、「これからの写真」(愛知県美術館, 愛知, 2014)など。

迫鉄平|Teppei SAKO
1988年、大阪府生まれ。現在、大阪府在住。現在、京都精華大学大学院芸術研究科博士後期課程在学中。主な展覧会に「Fantasy Black Channel」(KUNST ARZT, 京都, 2015)、「ケヴィン・シールズの欲望」(Social Kitchen, 京都, 2014)など。

上田良|Yaya UEDA
1989年、大阪府生まれ。現在、大阪府在住。2014年京都精華大学大学院芸術研究科博士前期課程修了。主な展覧会に「Objects in Mirror are Closer Than They Appear」(The Three Konohana, 大阪, 2015)、「AN OBJECT,」(つくるビル104A, 京都, 2014)など。