ナディッフの展覧会『体(からだ)』において、繊細な空気感をたたえる作品を展開しファンに応えた立花文穂が、「クララ洋裁研究所」で再び緊張感の漂うインスタレーションを披露することとなりました。明治末期から大正をへて昭和へと移りかわる中で、東京は大きく変貌をとげますが、それは同時に欧米文化と接点をもつ人々によって新しい「文化」が育まれてゆく時代でもありました。小池一子の両親が下落合(東京目白)に創設した「クララ」は、その時代の真っ只中で、まさにモダニズムを謳歌し、「文化」とともに一時代を生き抜いた存在ということができます。当時「目白文化村」と命名され郊外住宅地として拓かれたこの地には、大学教授や芸術家、著名人などが多く居住し、日々多彩な活動を展開していました。また周囲には、渋沢栄一が開学した日本女子大学校や羽仁もと子の創立した自由学園が配され、「目白文化村」はまさにモダニズムのみなぎる一大エリアとして独自の文化圏を形成していたといえるでしょう。出版の「クララ社」が東京豊島区上り屋敷に誕生したのは1923年。次いで1930年代に「クララ洋裁学院」を創立。後に社屋は、淀橋区下落合に移転され、やがて疎開のため倒壊されます。しかし時代の波に翻弄される中で、母・元子は1950年、下落合(東京目白)に「クララ洋裁研究所」を再建したのでした。時をへて2000年3月、建物の壊体を余儀なくされた小池一子は、元子が続けてきた服づくりの痕跡のすべてをアーティスト立花文穂に委ねました。そして解体の前日、建物内で行われたプライベートエキシビジョンにおけるインスタレーションとして、「クララ洋裁研究所」は、一日だけその生命を吹き返したのです。今回の展覧会では、長い時間の中で醸成された「クララ」のエスプリが、再び立花文穂の世界として立ち上がります。束の間の開催ではありますが、時の流れの中に封じ込められたモダニズムの片鱗を、新世紀にまたがる現代の時間と共に体現することとなるでしょう。
●ギャラリートーク 1月 8日(月・祝)午後3時より
立花文穂 × 矢川澄子(詩人) × 小池一子(クリエイティブ・ディレクター) |