NADiff modern 2F Gallery
倉橋由美子没後10年「最後の祝宴」発売記念
「Homage to YUMIKO KURAHASHI」
─装画を手がけた蜷川有紀さんの原画とともに
倉橋由美子の小説世界をたどる─
会期:2015年5月23日[土] – 6月28日[日]
会場:NADiff modern
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倉橋由美子は2005年6月10日に69歳でこの世を去りました。“反世界”といわれる「俗」や「現実」の内側奥深くに拡がる想像空間を描き続けた倉橋の作品たちは没後10年の今日に至っても私達に深く影響を与え続けています。
性の怖さを絶えず仄めかしながらも上品さと慎みをまとった言葉と文体を持つ小説「パルタイ」で華々しいデビューを果たして以来、その45年に及ぶ文学活動の中で様々なスタイルの小説を発表しながら凝り固まった日本の文学を破壊していくのです。
今展では倉橋由美子没後10年未収録エッセイ集「最後の祝宴」の発売を記念して、1960年代を中心とした当時の貴重な写真や執筆原稿、蜷川有紀描き下ろし「最後の祝宴」の表紙画「青いアンドロギュノス」原画を展示致します。倉橋由美子ワールドと豊かで贅沢な官能性あふれるアートワークの蜷川有紀さんの饗宴(=シュンポシオン)をお楽しみ下さい。
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表紙画「青いアンドロギュノス」Painted by YUKI NINAGAWA
H86.5×W62cm/和紙、岩絵具/2015年制作
(「最後の祝宴」のための描き下ろし作品)
・関連作品 「青のつる薔薇1」 H86.5 × W7.2cm
「青のつる薔薇U」H69.5 × W10.5cm
「聖少女」H57.5 × W50cm
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Messege
Homage to YUMIKO KURAHASHI
少女の頃、図書館で『聖少女』と書いてある黒い表紙の本をみつけました。小説は、こんなにも面白いものなのかと驚き、倉橋ワールドにのめり込みました。それから、サルトルやカミュ、カフカ、三島、澁澤などへ読み進み、妖しく美しい毒想にひたりました。このたび敬愛する倉橋由美子没後十年を記念して発刊される未収録エッセイ集『最後の祝宴』の表紙画を描くことができ、心から嬉しく思っています。
────蜷川有紀
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倉橋由美子『最後の祝宴』
あらゆる観念を吟味せずにはいられない徹底した懐疑精神
その毒とユーモアあふれる随筆・評論を初めて集成した「最後の本」
あの江藤淳との論争の全貌も明らかに!
《構成》
◎初期15年間の全作解題、300枚に及ぶ一大文学論―全集でしか読めなかった自作解題を集成(「作品ノート」)
◎60年代から晩年に至る、初の書籍化のエッセイ350枚を収録。
・外国文学の模倣をめぐる論争に発展した江藤淳(当時30歳)と倉橋(当時27歳)の応酬。両者亡き今、江藤への反論を収録。
・文学論から痛烈な社会批判まで、鋭い切っ先の、辛辣なユーモアを堪能できる50篇を精選。
─本文より─
この種の人形的な人間を見ていると、一度剃刀で皮膚を切裂くか首を引抜くかして、中を調べてみたいという衝動に襲われる。それと同時に、自分自身も他人にはそのような合成人間風に見えているはずだと思い、横隔膜あたりに冷たい水のような笑いがにじんでくるのを感じる。(作品ノート3「合成美女」)
発売日:2015.2.8/サイズ:四六上製 352頁/頁数:64P/装画:蜷川有紀/解説:古屋美登里/価格:1,500円+税
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蜷川有紀 YUKI NINAGAWA(画家・女優) |
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1978年、つかこうへい構成・演出『サロメ』にて、3000人の応募者の中から主役に選ばれ女優としてデビュー。1981年、映画『狂った果実』でヨコハマ映画祭新人賞受賞。以降、映画『ひめゆりの塔』『もどり川』やTV『鬼龍院花子の生涯』など出演作多数。女優業だけにとどまらず2004年には、鈴木清順原案の短編映画『バラメラバ』を監督・脚本・主演。『バラメラバ』小説&DVDを上梓。
2008年、Bunkamura Galleryにて絵画展『薔薇めくとき』を開催。同年度情報文化学会・芸術大賞受賞
2010年『薔薇まんだら』、2012年『薔薇都市』(Bunkamura Gallery)、2013年『薔薇迷宮』などの個展も大盛況をおさめる。その他、テレビ東京開局45周年番組『寧々・おんな太閤記』タイトル画、ワコールPR誌表紙画なども手がけ、岩絵の具で描き上げた魅惑的な作品が女性たちの圧倒的な支持を得ている。
また、日本文化デザインフォーラム幹事、(財)全国税理士共栄会文化財団 / 芸術活動分野選考委員、InnovativeTechnologies特別賞選考委員等として多くの文化活動にも貢献している。 |
倉橋由美子略年表 |
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新潮社 |
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一九三五年 |
十月十日 高知県香美郡山田町に、父俊郎、母美佐栄の長女として生まれる。名付け親は父と親交のあった徳富蘇峰。
十代のころは日本の小説を読み、漢詩に興味を持つ文学少女だった。 |
五四年 |
土佐高校卒業後に京都女子大国文科に入学。 |
五五年 |
日本女子衛生短期大学別科歯科衛生コースに入学。 |
五六年 |
短期大学を卒業し、歯科衛生士の国家試験に合格。歯科医である父の反対を押し切って明治大学文学部文学科仏文専攻に入学。 |
五九年 |
「雑人撲滅週間」が第三回明治大学学長賞佳作となる。明治大学大学院文学研究科に入る。 |
六〇年 |
「パルタイ」が第四回明治大学学長賞を受賞し明治大学新聞に掲載され、「文學界」三月号に転載。上半期芥川賞候補となる。八月に『パルタイ』を刊行。 |
六一年 |
『パルタイ』で女流文学者賞を受賞。短篇集『婚約』『人間のない神』『暗い旅』を刊行。「夏の終わり」が下半期芥川賞候補に。 |
六三年 |
田村俊子賞を受賞。 |
六五年 |
『聖少女』刊行。 |
六六年 |
『妖女のように』刊行。 |
六八年 |
『蠍たち』刊行。 |
六九年 |
『スミヤキストQの冒険』を刊行。 |
七〇年 |
『ヴァージニア』、短篇集『悪い夏』、初エッセイ『わたしのなかのかれへ』刊行。 |
七一年 |
『夢の浮橋』『反悲劇』刊行。 |
七二年 |
第二エッセイ集『迷路の旅人』刊行。 |
七五年 |
『倉橋由美子全作品』の刊行が始まる。 |
七七年 |
短篇集『迷宮』『夢のなかの街』刊行。シルヴァスタイン『ぼくを探しに』を翻訳。 |
七九年 |
第三エッセイ集『磁石のない旅』刊行。シルヴァスタイン『歩道の終わるところ』を翻訳。 |
八〇年 |
『城の中の城』刊行。レストレンジ『嵐が丘にかえる』を翻訳。 |
八二年 |
シルヴァスタイン『続ぼくを探しに ビッグ・オーとの出会い』を翻訳。 |
八四年 |
『大人のための残酷童話』刊行。シルヴァスタイン『屋根裏の明かり』を翻訳。 |
八五年 |
『倉橋由美子の怪奇掌篇』『シュンポシオン』刊行。 |
八六年 |
第四エッセイ集『最後から二番目の毒想』、『アマノン国往還記』刊行(翌年泉鏡花賞受賞) |
八七年 |
『ポポイ』刊行。 |
八九年 |
『交歓』『夢の通ひ路』刊行。ブスカーリア『クリスマス・ラブ――七つの物語』を翻訳。 |
九一年 |
『幻想絵画館』刊行。 |
九六年 |
第五エッセイ集『夢幻の宴』刊行。 |
九七年 |
シルヴァスタイン『人間になりかけたライオン』を翻訳。 |
二〇〇一年 |
第六エッセイ集『あたりまえのこと』刊行。シルヴァスタイン『天に落ちる』を翻訳。 |
〇二年 |
『よもつひらさか往還』刊行。 |
〇三年 |
『老人のための残酷童話』刊行。 |
〇五年 |
六月十日 拡張型心筋症により永眠。享年六十九歳。書評集『偏愛文学館』刊行。サン=テグジュぺリ『新訳星の王子さま』を翻訳。 |
〇八年 |
『酔郷譚』刊行。 |
一二年 |
『精選女性随筆集 倉橋由美子』『完本 酔郷譚』刊行。 |
一五年 |
単行本未収録エッセイ集『最後の祝宴』刊行。 |
略年表製作 古屋美登里 |
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