なぜNADiffで宗達か?
近年日本の現代美術家の多くが日本美術史のなかに自作のテーマや素材を求める傾向にあります。現代美術家が「アートそれ自体」にテーマを見出すことは何も驚くに値しませんし、日本人の作家が日本の美術史のなかに、テーマや素材を見つけることも当然の成り行きと理解できます。村上隆が琳派の系譜を「スーパー・フラット」概念として制作の基盤とし、世界に立ち向かっていたり、奈良美智の意地悪顔の少女たちは藤田嗣治の少女や子どもたちを連想させ、そこから岸田劉生の「麗子像」や劉生の見出した近世風俗画と宋元画「寒山拾得」をミックスした「デロリ」の系譜へと連なったりしています。
「3・11以降絵画」の傑作と最近話題になった会田誠の「電信柱、カラス、その他」でも、等伯の「松林図屏風」がやつされ、そのことで等伯が影響を受けた牧谿の「観音猿鶴図」三幅を連想させることに成功しています。しかしそれだけでは「3・11以降絵画」にはなり得ません。もう一つ、河鍋暁斎の「処刑場跡描絵羽織」が下敷きにされています。羽織の背中裏には原色で生々しい処刑場跡を、両袖裏には淡墨で文明開化の街並をシルエットで描いたものです。会田作品の下部がかすんでいる電信柱は、暁斎の血まみれの女性が架せられた磔柱に並行に霧の中に立つ電信柱そのものです。また暁斎の描いたカラスに啄まれる骸は鎌倉期の「九相詩絵巻」を借用したものであり、啄む四羽のカラスはそのまま会田作品の左端下部にいます。「九相詩絵巻」は現代美術家松井冬子が近年借用しているものでもあります。しかし会田はほとんど地上にあるはずの屍体を描かず、わずかな断片のみを示しています。幕末・明治を生きた暁斎は席画で電信柱やカラスを多く描いた画家です。この羽織の裏絵を見れば開化の世をどのように眺めていたか、想像に難くありません。その想いを会田は自作に取り込んだのです。まさに電力が問題になった3・11以降を象徴するのに、暁斎の電信柱ほど相応しいものは無かったのです。
「九相詩絵巻」を借用して作品に取り込んだ画家に俵屋宗達がいます。宗達は扇面に「九相詩絵巻」にある骸にたかる二匹の犬のみを借用して描いています。宗達の時代、今よりずっと「九相詩絵巻」や同様の「六道絵」は知られたものだったのでしょう。その扇を開いてみれば、誰もが二匹の犬の間に横たわる喰いあらされた屍体を連想することが出来たのです。会田はこの、「九相詩絵巻」を借用しながら屍体を描かず屍体を連想させるという宗達の方法をも借用し、禍々しい惨劇をテーマとした作品にある種の品格をさえ与えることに成功しています。
NADiff (ニューアートディフュージョン) が日本美術史のなかに分け入ろうとするのは、作家がそれを取り上げ、見る側に気付くことを期待し、また見る側も気付くことによって作品の深意や趣向を理解し、見ることの愉しさを膨らませることが出来ると信じるからであります。
まずは目標は高く、数多くの国宝や重要文化財に指定される作品の作者でありながら、謎に満ちた絵師、俵屋宗達に取り組もうと決意した次第であります。
(NADiff 店主謹言)