ロベール・クートラス展「小部屋のクートラス」―『ロベール・クートラス作品集 ある画家の仕事』刊行記念―2016年4月1日[金] – 5月8日[日]月曜日定休 ※5月2日[月]は営業 協力:Gallery SU, Ecrit この度NADiff Galleryでは、画家・ロベール・クートラス(Robert Coutelas 1930-1985)の画業をはじめて集成した2冊組の大型作品集『ロベール・クートラス作品集 ある画家の仕事』(Ecrit刊)の出版を記念し、ロベール・クートラスの作品展を開催いたします。 1930年にパリに生まれ、1985年に急逝したフランス人画家、ロベール・クートラス。 クートラスのカルト作品は、厚めのボール紙に膠で下地を作っただけの支持体に、お尻を突き出した子供、炎の中の聖母子、ギロチン場で断罪される人、股間からのぞく顔、人の顔をした昆虫や鳥、読み取れない文字等、様々な図像が描かれています。これらの奇怪でユーモラスな表情をした手札サイズの作品群は、「僕の夜 “Mes Nuits”」と名づけられています。また同時期にポスター裏に描いたグァッシュ画には、クートラスが「僕のご先祖さま “Mes Ance^tres”」と呼んだ、多くの肖像が描かれています。他に油彩、テラコッタ、木片や封筒の裏面に描いた遊び心溢れたドローイングなど、いくつかの系統にわかれるクートラスの作品は、物語的、神話的ともいえる作品に描かれる謎めいた図像、ロマネスクを想起させる素朴で愛嬌のある造形表現、そしてどことなく寂しげで、静かな様相の色彩や絵肌を備え、私たちの心を捉えて離さない不思議な魅力を奥底に湛えています。 本展では、クートラスの作品を初めて包括的に集成した作品集『ロベール・クートラス作品集 ある画家の仕事』を紹介すると共に、パリのヴォージラールの小部屋から生まれ出たカルト作品、グァッシュ、テラコッタ作品の一部と共に、クートラスの作品を長きにわたり撮影してきた写真家の平地勲氏による写真も併せて構成し、展覧いたします。 画家 ロベール・クートラスの生涯 1930年にパリ・モンパルナス生まれ。第二次世界大戦がはじまるとクートラス一家は独協力強制労働の徴用を受けてドイツで生活を送ります。戦後無事にフランスに帰郷したクートラスは、工場での労働を経て苦学の末、念願叶いリヨンの美術学校に入学しました。卒業後にパリへと居住を移してからは、画廊との契約も結び作家としての収入源を順当に得るものの、自らの芸術を探求するために、自ら契約を解除するという一途を辿りました。1972年には二つ目の契約画廊とも決別し、ついに一人で生きていくという冒険を選んだクートラスの生活は、その後貧窮に覆われていきます。 1967年から亡くなる1985年までの間、クートラスのアトリエはパリのヴォージラール226番地の一室にありました。そのアトリエを兼ねた住居の小部屋で、画廊とも離れ自由の身になったクートラスは思うままに自身の制作に没頭し、膨大な数の作品を制作します。その頃に、カルトと呼ばれる小さな作品群「僕の夜 “Mes Nuits”」や、薪用のダルマストーブで焼成した、頭部や動物をカタチつくったテラコッタの彫刻、グァッシュで描かれた肖像画の作品「僕のご先祖さま “Mes Ance^tres”」などが、ヴォージラールの小部屋で生み出されていきました。拾い集めてきたボール紙や、印刷所の友人から譲り受けたポスターの裏紙を使い絵を描き、掘り出した土を捏ねたものはテラコッタの材料に、そして路上にゴミとして積み上げられた段ボールや木切れは焼成のための燃料にし、貧しさから画材を十分に調達出来ない状況におかれても、クートラスの表現はその中でますます醸成し、最期まで自らの芸術を希求し続けました。カルト作品はクートラスの言葉によると作品の数は約6千枚に及んだといいます。1985年、クートラスはこのヴォージラールのアトリエで55年の生涯を閉じました。 |
同時開催展覧会 |
ロベール・クートラス 僕は小さな黄金の手を探す会 場:ベルナール・ビュフェ美術館 |
新刊情報 |
2016年3月12日発行 『Robert Coutelas 1930−1985
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Profile |
Robert Coutelas ロベール・クートラス(1930-1985) |
1930年3月17日 パリに生まれる |
ビブリオグラフィー |
2016年 『ロベール・クートラス作品集 ある画家の仕事』/ Ecrit |
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展示についてのお問い合わせ
NADiff a/p/a/r/t |