NADiff Window Gallery 丹羽良徳「ベルンで熊を拍手喝采する」 アーティスト・トーク「トランスナショナルな個人映像記述術」2012年2月19日[日] 17:00−19:00ロシア、スイス、トルコ、フィンランド、ルーマニア……世界各地に滞在し、作品を制作し続ける丹羽良徳。第4回恵比寿映像祭地域連携プログラムの一環として、丹羽の新作を披露する「ベルンで熊を拍手喝采する」展(2月9日〜26日)* が、東京・恵比寿の「ナディッフ アパート」で開催された。会期終盤となる19日夕刻、読売新聞「ポップスタイル」欄編集長の市原尚士をゲストに招いてのアーティスト・トークが行われた。当日、話せなかったことや、紹介できなかった画像も盛り込んだ、トークの全容を紹介するリポートをお届けします。 |
丹羽良徳 アーティスト |
市原尚士 |
― 負け組に興味があります丹羽良徳(以下、「丹」) みなさま、今日はお越しいただきありがとうございます。このトークは第4回恵比寿映像祭地域連携プログラムで、新作「ベルンで熊を拍手喝采する」を含めて NADiff で展示をすることなり、その関連イベントとして企画しました。今回はゲストに読売新聞の市原尚士さんをお迎えして、これまでのプロジェクトなどが一体、どのような経緯で、そして実際、どのような方法を用いて実現されたのかということをお話していこうと思います。これまで海外での制作が多く続きましたので、タイトルを「トランスナショナルな個人映像記述術」と付けております。 ― 現地に飛び込んでから制作スタート |
「モスクワのアパートメントでウラジミール・レーニンを捜す」 |
丹 これはですね、簡単に説明すると、ソヴィエト連邦が崩壊して居なくなったはずのウラジーミル・レーニンをモスクワの中で捜すというプロジェクトです。モスクワ市内の一般家庭にお宅訪問しながら、ロシアの中に残されているレーニンを捜し出すという訳です。また「レーニンを捜しています」というチラシを作って地下鉄駅で配ったり、本当にモスクワ市内を駆けずり回って捜しました。今回は予算と美術館側の協力もあって、撮影スタッフも通訳も現地で雇い入れて撮影しました。こういうことは滅多にはないんですが、予算があるからできることですね。それに展覧会に呼ばれて始めて、ロシアについて真剣に興味を持つようになったという感じです。それまでは、正直にいうとロシアで実際何が起こっていて、人々はどんなことをしているのだろうと思っていました。情報がほとんど入って来なかったんです。 |
「イスタンブールで手持ちのお金がなくなるまで、トルコリラとユーロの外貨両替を繰り返す」 |
丹 これは、モスクワとは全く違ったやり方で作られた作品なんです。撮影も1日で終わらせているし、もっというと撮影はたった30分くらい。しかもイスタンブールに滞在したのは、たった1泊。しかも、スタッフや誰か知り合いがいるわけでもないんです。ただ、急にイスタンブールに飛び込んだんです。で、どうやって撮影しているかと言うと、たまたま泊まったホステルに到着したら、偶然にも日本人のバックパッカーがいたんです。で、事情を説明して、ちょっと1時間くらい手伝ってくれない?ってお願いして撮影しました。まあ、かなりの偶然で出来上がっているんですけれど、現実的に考えると毎度、日本から撮影スタッフを呼ぶわけにもいかないし、雇うだけの経済的な力もない。じゃあどうするかというと、適当にその場にいる人にお願いするんです。本当に、それしか方法がない時が、多々あるんです。でも撮影しないといけない。そうするとおのずと、いきなりカメラを触ったことのない素人にお願いしても作品として成立するように作るわけです。実を言うと、これは後で自分自身で発見したことなのですが、カメラがぶれぶれになっていようが、カメラワークが下手糞だろうが作品としての質を下げないで、制作する方法を編み出そうとしていた結果、今現在のような作品のスタイルになったように思うんです。だから、今現在、東京で撮影する時でも、特にカメラワークが上手な人にお願いしようとは考えていません。この場合は、単純にお金がなくなるまで両替し続けるから、その様子を淡々とズームとかしないで撮影してね、とだけ伝えました。これで指示は終わりです。 ― 通訳の調達はいつも苦労の連続 |
「ベルンで熊を拍手喝采する」 |
丹 これはトルコの前に制作した作品です。正確に言うと、このために渡航して、帰り道でトルコに寄ったんです。で、実はこの作品はオリジナルとしては、パフォーマンスなんです。BONE-Festivalというスイスのパフォーマンスアートフェスティバルに呼ばれて、実際観客を目の前にしてパフォーマンスを行ったんです。その映像を元に編集してヴィデオをまとめています。ベルンという街は16世紀頃からずっと絶やさず、熊を飼育しているんです。当時の王様が狩りに出かけた時に、街の名前は初めて捕らえた動物のにしようと決めたそうです。ですから、一匹死んでは、また新しい熊を連れてくるのを繰り返しています。で、そのベルンに住む人々に実際は熊に何か言いたいことはあるんじゃないの?ということが始まりです。芸術祭のスタッフと繁華街に出かけて、インタビューを取ったりして、パフォーマンスにも参加してもらうように呼びかけました。 |
八甲田山の頂上に海底で拾った石を積む |
丹 これは、国際芸術センター青森というアーティストインレジデンス施設で、企画展に呼ばれた時に、滞在制作したものです。撮影はセンターを通じて、紹介して頂きました。3ヶ月くらいかかっていますが、実際の撮影は2週間程度でしょうか。 |
釜山市で何の為でもない集合写真を撮る、そして他人の記念写真に参加する |
(次頁 2/3P へつづく:>> 所有の概念を切り崩してみる) |