NADiff Window Gallery 丹羽良徳「ベルンで熊を拍手喝采する」 アーティスト・トーク「トランスナショナルな個人映像記述術」2012年2月19日[日] 17:00−19:00 |
― 所有の概念を切り崩してみる |
自分の所有物を街で購入する |
丹 これもカメラマンにほぼ指示を出さないで、さらっと主旨を説明したうえで、僕のやっていることを淡々と追ってくれと伝えて、新宿に向かいました。新宿駅からスタートして、どこに行くかも伝えずに、いきなりキオスクで雑誌を買って、紀伊國屋書店まで歩きました。説明し過ぎるとカメラマンも考え込んでしまって良くないなと思ったんです。カメラマンの動揺も含めて、できるだけプリミティブな状況でこれを撮影したかったのです。というのは、物の購入をしていながら、且つぼくらが信じ込んでいる所有に絡む物の購入行為から、どれだけ遠いところまで行けるのかと、そしてその見慣れた街がどこまで変容してしまうのか観てみたかったです。そこで考えたのが、あえて自分自身で虚像を作り出すことでした。つまり、何か物に対して対価を払うのだけど、何も得られないというパラドックスを演じ切ることで、経済システムそのものと所有するものを完全に切り離そうと考えました。 ― 同調圧力をいったんリセット! |
デモ行進を逆走する |
丹 これはもちろん、見て分かるとは思いますが、練習とかリハーサルとは無縁で、一発勝負にかけているわけです。撮影スタッフにも、一度撮影したら二度とできないのでとは伝えました。もちろん、デモの参加者とぶつかってしまうなどのリスク以上のことが起こってしまうかも、と思うことありましたが、実際には何も起きませんでした。実際このデモの時期というは、みなさんも感じられたと思いますが、大震災の3ヶ月後でいろいろな反原発運動が盛り上がっていました。規模的にはこの時でも数万人が参加したと言われています。ただ、多ければ多いほど、デモに参加して当然だという空気になってしまいます。もちろん、原発はないほうがいいと思う。でもデモに参加するのもできないと思った人も多くいると思います。理由はいくつかありますが、例えば、反対するだけでは何も起こらないとか、反対して何を作るのか?ということもあるでしょう。そんなどっちにも振り切れずにいる精神状態ならば、デモを逆走するしかないのでは、と思い立ったんです。 |
ルーマニアで社会主義者を胴上げする |
丹 これは、ちょっとぼくの中でターニングポイントになった作品でもあるんです。というのは、この作品は5年くらいかけてふつふつとアイデアを練って2010年に実現させたんです。NHKアーカイブスというドキュメンタリー番組で1989年のルーマニア革命の一週間をアマチュアカメラマンがずっと追った映像を観て、これは行くしか無いなと直感で思いました。今でもこの日のことを覚えています。ただ、ルーマニアはお世辞にも現代美術の分野が進んでいるとは言えないし、ギャラリーも数えるくらいしか存在していない。で、ネットでルーマニアのアートセンターや美術誌を調べたところ、唯一ヒットしたのが、Pavilionという雑誌。なんどかこの雑誌にコンタクトとっている内に、ブカレストに来ないかという話になって、一気にプロジェクトの現実味が帯びたんです。でも予算がないと。スタッフができるだけ手伝うし、泊まるのはスタッフの家でもいいからと。お金をなんとかやる気でカバーしようと思っていたんですね。ぼくもそれに乗っかる形で、カメラマンが問題だったのですが、大学の後輩に偶然話したら、行きたいと即答されて、「じゃあカメラやってくれたらね」と返して実現したんです。あとは、アートセンターの人にお世話になりっぱなしで。 |
結婚を決意できない友人の為に深夜2時街灯の下で結婚式をする |
何の為でもない76人の集合写真 |
市 通常は、ある共同の組織であったり、親類縁者、家族同士であるからこそ撮る記念写真の性格を「何の為でもない」では、いったん解体してしまっている点が面白い。赤の他人があたかも知り合いのようにして一堂に集う姿は、大都会の縮図のようにも思えた。さっき出た「釜山市で何の為でもない」もこの2作品と同じ系譜ですよね。 |
(次頁 3/3P へつづく:>> 「何もできない時」こそチャンス) |