◆ 丹羽良徳
@ 理性よ、さらば ポール・ファイヤーアーベント/法政大学出版局(1992)
例えば、学術としての科学に裏付けの取れない占いを導入することを否定せずにやってみる「なんでもあり」の精神から生まれるものは、この戦後アメリカ資本主義の価値観から抜け出せない僕らにとって非常に重要な示唆を含んでいるのではないかと思われるオーストリア出身の科学哲学者 ポール・ファイヤーアーベントの著書。
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A 表現と介入:科学哲学入門 イアン・ハッキング/筑摩書房(2015)
あらゆる意識をもつ生命体が表現活動を行うということから言えば、「表現」と聞くと美術表現をイメージしてしまう貧弱な僕の必要な思考はこれかもしれない。まずは美術的な方法論をどうにか破ることが必要である。
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B 基督抹殺論 幸徳 秋水/筑摩書房(1954)
ノーコメント。
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◆ 本田江伊子
日常的実践のポイエティーク ミシェル・ド・セルトー (著)、山田 登世子 (翻訳)/国文社(1987)
日常生活で個人により実践される「歩く」「読む」「話す」「料理をする」などの平凡な行為が、如何にその者が存在する都市や消費文化など、企業や国家が生み出す「戦略」strate´giesから成り立っている環境の中でそれに対する「戦術」tactiquesとなりうるのか。そして私たちの発する日常言語の流動的な不/可能性とは。歴史学、社会科学、哲学と精神分析学を融合させたアプローチで問うフランスの学者セルトーの著書。
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◆ F.アツミ(Art-Phil)
@ 現代美術史日本篇1945-2014: ART HISTORY: JAPAN 1945-2014 中ザワヒデキ/アートダイバー 改訂版(2014)
美術家の戦争責任問題にはじまり、具体、アヴァンギャルドを経て、会田誠、奈良美智、Chim↑Pom、カオ ス*ラウンジ、中村政人らへと至る、「日本で唯一の現代美術正史」とは著者の云い。言うまでもなく、そのような「正史」はまだ・ない。
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A 必然的にばらばらなものが生まれてくる 田中 功起/武蔵野美術大学出版局(2014)
アーティストによる「関係性のマニエリスム」ともいえる諸作品への言及が移ろう。相対化された価値の戯れ、あるいは自己目的化されたストーリーの断片群の向こうには何があるのだろうか? 空疎なまでに精緻なアート・メモ・ランダム。 (>> ONLINE SHOP)
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B 後美術論 椹木野衣(著)、美術手帖編集部(編)/美術出版社(2015)
3.11後の社会状況と自身の美術体験をパラレルに回想する、キュレイトリアル・エッセイという趣き。テーマ は「音楽と美術の結婚」。本書の眼差しの先に、丹羽良徳によるヴィデオ・パフォーマンスを「後美術(アート)」とし て「聴く」ことができる。
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C 地域アート――美学/制度/日本 藤田直哉(編・著)/堀之内出版(2016)
2016年現在の日本における最新の知見を集めた「地域アート」をめぐる議論の一端。さて、もしアートが「前衛のゾンビ」として、地域のなかで反道徳的なヒストリーをいまだなお反復するとして、その真価は誰によってどのように評価されるのか?
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D あなたは今、この文章を読んでいる。:パラフィクションの誕生 佐々木 敦/慶應義塾大学出版会(2014)
作者の自己言及としてのメタフィクションから、読者への他者言及としての「パラフィクション」へという読解のよろこび。参加型アートを批評的にみるときに効果を発揮しそうな概念装置。テン年代の感性は「メタからパラへ」とい うことなのかもしれない。
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E Hannah Arendt’s Library Heinz Peter Knes, Danh Vo, Amy Zion/Galerie Chantal Crousel(2012)
公共への赤い意思。本という棺。
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◆ 後藤知佳
@ 私は生まれなおしている 日記とノート 1947-1963
スーザン・ソンタグ(著)、デイヴィッド・リーフ(編集)、木幡 和枝(翻訳)/河出書房新社(2010)
イベントのアーカイブテキスト中でも言及されていますが、「天麩羅」編集作業の初期段階ではこの本の存在が頭の中にありました。日記をまとめた本という共通点はもちろんのこと、一見瑣末な内容に見える生々しいテクストであれ後の論考に発展すると思われる示唆的なテクストであれ、書かれているし残っているというフィルタのもと等価に扱うその冷徹な編集方針にも痺れる本。紙と印刷と出版流通インフラのいけてる使い方だなと思います。
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A 絶望の国の幸福な若者たち[文庫版] 古市 憲寿/講談社+α文庫(2015)
著者が25〜26歳の頃に執筆し話題を呼んだ単行本の発売から約4年。30歳になった著者が原著の執筆当時とはまた異なる目線から新たに書き足した注釈・追記が、独立してひとつの見どころにもなっている文庫版。「天麩羅」とも似た構造を偶然持つ本の目立った例のひとつとして挙げてみます。ただ携帯性を上げて価格を落とすことだけが文庫化の意義じゃないし、「ある時点での最新版」を切り出して保存することがある意味出版という営みの本質なんですよねと勝手にそのスタンスを解釈して持ち上げたくなるかっこいい文庫。「天麩羅」も数年後にまたアップデート版を出せたらいいのかもしれない。
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