NADiff Gallery 丹羽良徳「解釈による犯行声明」アーティスト・トーク 「犯行声明、あるいは歴史と天麩羅のひみつ ─ 東京-ロンドン-京都-東京」2015年10月24日[土] 15:00−17:00 |
― 遠いところに行く口実がどうしてもいつも欲しいアツミ ということは、最初からもう「反制度」で。 ― 丹羽作品ってすごく干渉してくるアツミ それとこれ。やっぱりさっき、佐々木さんがおっしゃっていたように、下の音がずっと聞こえていたり。京都でやってるカントル展に行ったんですよ。 丹 羽 あ、そうですか。ありがとうございます。 アツミ 松井智恵さんの作品がすごい静かなんですよ、メルヘンチックな怖そうな感じなのをやっている、のだけども、その後ろから、その向こう側から、階段の向こう側から丹羽さんの音が―つまり、デモを逆走している、あの国会議事堂周辺の音がずっと鳴っていたんですよ。これがきっと、松井さんの作品に干渉しているんだよね。松井さんの作品を鑑賞している人は、常に丹羽さんのノイズを聞かされている。 丹 羽 そうみたいですね、僕行ってないので、状況はわからないけど。 アツミ それがキュレーター方の意図的なものなのか、そうじゃないかわからないけど。ある種、やっぱり美術の、その美術館、あるいはアートスペースという空間の中においても、丹羽さんの作品ってすごく干渉してくる。それによって、丹羽さん自身の存在を確かめたり、あるいは、相手からの反応を見ながら、お互いの、自分が立っているシステムと相手の立っているシステムの、そのぶつかり合いを実験として見せているような気がします。 というところで、本田さんに伺いたいのは、この本にも寄稿してくださった記事のタイトルが「言葉の幽霊(スペクタ)―丹羽良徳と〈共(コモン)〉の範囲(スペクトル)」というところで、丹羽さんの言葉を用いているアートの実験というものが、実際にわれわれの生きている社会空間においてどういうふうに物事を考えさてくれるのか、ということを書いてくださったと思うのですが、本田さんのですね丹羽さんに対する作品…… 本 田 ごめんなさい。 アツミ え、本田さんの丹羽さんに対する、作品のもうちょっと今の話踏まえて伺えますか? 本 田 あの、あの、3分くらい聞こえない。 アツミ あ、まじですか? 3分くらい聞こえなかった? 本 田 あの、途切れてしまって。 アツミ じゃあ、さっきの佐々木さんのお話とか踏まえて。丹羽さんってやっぱり、モノってのを作らない。でも、それが作品として成立する。そういうことがですね、本田さんの眼からしてどういう風に考えられるのかな? とか、あるいは、ロンドンでですね、丹羽さんの作品っていうのが今後どういう風に受け入れられていくかとか、そういうことについて伺いたいと思うのですが。 本 田 はい。えっとですね。あの。さっきのアートスクールでのレクチャーの話とも繋がるんですけども、丹羽さんの作品制作のベースとなるような、彼自身が行ったアートスクール….…(以降、Skypeが途切れる) 丹 羽 途切れた。 本 田 (途切れ途切れの会話が聞こえる)体験と……こちらでレクチャーしてくださった…… 佐々木 何を言っているのか、わからないしな。 丹 羽 これは、想像するしかないな。
(以降、Skypeが途切れる)作品……それ自体の有効性というか……あの、どうなのかなっていうのがあって、むしろそことの関連性を掘り下げるよりも、まったく違うところから来てるというか。 Twitterにも上げていらしたし、こちら(ロンドン)に来たときも話してくださったんですけど、たとえば、(丹羽さんが多摩美で)受けた授業の内容が、「みんなパジャマを来て明日授業、学校に来い」とか言われて、それだけが授業だったとか。ある意味、今丹羽さんが作っている作品に直接的に繋がるところがあるというか。その、日常のあの、何て言うんでしょうね。あの、日常にあって無意識的に振る舞っている私たちの行動に気を配ることによって、何て言うんでしょう、変化を起こさせるというか。日常とアートというか、その……根本的なアート教育というか、そこのアプローチが違うから、そこの部分を掘り下げる必要があるのかなと思いました。 丹 羽 本田さん、ちょっと1個、聞きたいことがあるんですが。個人的に聞きたいことがあるんですけど。今話したその、パジャマで学校に来いという授業。これは本当にあったんですけど、ロンドンの美術大学の授業でもそういうものってあり得るんですか? 本 田 うーん、学校によるとは思いますけども。やはり何と言うか。アートのAって字の後の文脈の方にフォーカスを当てたもののほうが多いんじゃないかなと思います。 丹 羽 アートのA? 本 田 ゴールドスミスは特にそうだと思うんですけども。私自身の母校なので、あれなんですけど。自分はさておき、いかに書くかということを教育されるというか。やってやりっ放しが良しとされないというか。授業の内容でも、自分の作品をグループの中で見せて批評し合うというか。そういうことは、すごくフォーカスされているので。何て言うか、その、あの。いわゆる理論武装じゃないですけど、そういう傾向はあるんじゃないかな。 丹 羽 なるほどね。じゃ、作品をどういう風に語るかってところにすごいフォーカスが当たってると考えていいわけですね。 本 田 そうですね。自分の作品をどのように説明できるかってことは、すごく教育されるところだと思います。 丹 羽 なるほど。そこは、ずいぶん。わかんないですけど、日本の美術大学でもあるかもしれないですけど、僕が行った映像演劇学科だと、ま、だいぶ違うというか。その、パジャマで来いとか。 佐々木 あそこ、美術大学じゃないですよね?(笑) 丹 羽 かもしれないですね。専門学校だとみんな言ってた。で、なんか、いろいろあって……「抜け毛を集めろ」とか。何だっけかな、よく覚えてない。そういうのばっかりだった。もちろん、それがすべてじゃないですけど、そういうことをやった記憶の方がすごく大きい。あと、授業行ったら「みんな、服脱げ」とか言われて。 佐々木 あ、そういう話、聞いたことある。 丹 羽 なんか裸になるみたいな授業があった。ま、そんなのばっかりだった。 本 田 それってすごく日常的なことに一石を投じるというか、そういうアプローチがありますね。 丹 羽 そう。だから多分、「その作品をどう語るか」の前の段階で。「どう語るか」はなかったというか。それが、それで終わってるというか。パジャマで来て、本当にパジャマで僕行ったんですけど、電車にパジャマで乗って学校に着いたら、確か教室にビールが置いてあって、それでみんなでプシュって開けたら授業終わり、みたいな。で、授業時間はないんですよね。だから、登校するまでが授業「だった」みたいな。 だから、「どう語るか」っていうよりは、「それをどう受容していくか」の方が大きかったかなと。 本 田 なんかそれって、すごく……。いろんな鋭い質問がゴールドスミスのレクチャーの中で挙がったんですけど、その中で1つ特に面白いなと思ったのが、「最近の日本の若者というか、若い人たちが急に政治に関心を持つようになったと思うんですけど、それについてはどう思うか?」という質問があったじゃないですか。 丹 羽 あ、ありましたね。 本 田 それに対して丹羽さんは、「別にそんなことはないと思う」ということを言っていて、別に急に最近みんなが関心を持ち始めたわけではなくて、たとえば、「ああ、もうお金がなくて困っている」みたいな、愚痴。日常的な愚痴ですとか、そういうこと自体もポリティクスだということを丹羽さんは指摘なさっていて、そういった、いわゆる「アート」と言われている芸術だけじゃなくて、そこから離れた政治に関しても、私たちとは別のレベル、いわゆる……(以降、Skypeが途切れる)……の作り方にもありますけど、ただアートではなくて、ファインアートだからもっと1つレベルが上がるような、ハイヒエラルキーの中に存在している芸術だとか政治というよりは、日常に存在する政治や芸術の手法というか。そういう方に関心を持たれているのかなというか。そういったところのアプローチ自体、根本的に違うのかなと。 丹 羽 しかも、ちなみにその質問した人は、ゴールドスミスに留学している日本人ですよね? 本 田 あ、そうです! 丹 羽 っていう皮肉というか、よくわかんないですけど。 本 田 うーん。 丹 羽 いや、まあ、その日本人の質問では、「最近ここ数年、日本人も政治的なことをよく語るようになったと思うんですけど、それをどう思いますか?」というようなことを言われたんだけど、僕は、「そんな別につい最近いきなり起こったことじゃなくて、前からそういうことがあったけど、もちろん、今はそういうのが見えやすくなってるかもしれない」という話をしましたね。 ― 「手当たり次第」なノイズバンドの活動アツミ ちょうど今始まって1時間くらいなんですけども。 丹 羽 休憩? アツミ ちょっと休憩時間……というのもあるので。もしトイレとか。 佐々木 休憩します? アツミ や。 佐々木 や、全然してもいいですけど。 アツミ というか、NADiffさんと休憩ちょっと入れてといってたので。 丹 羽 本当? じゃ5分くらいトイレ休憩? アツミ それを取りつつ、ちょっと1時間くらい長い前置きみたいなのがありましたけど、もし会場の方で質問とかありましたら、その休憩の間受け付けて、ま、ぼくらはずっと喋っていれば大丈夫かなと思うんですけど。 丹 羽 休憩じゃないじゃん……。 アツミ じゃ、もし質問あれば。トイレ休憩も。質問とかある方いらっしゃいますか? 今までのお話で。 観客A あ、じゃあ! すごいなんか脱線したような質問なんですけど。チェコで出したCDってまだ買えるんですか? 丹 羽 あ、えっと! 多分……。ちょっと僕その後追ってないので……レーベルがどうなってるのかわかんなくて、直接買えるどうかわからないけど、僕、前にディスクユニオンで見たから、どこか探せば中古が出回ってると思う。 観客A レーベル名とか? 丹 羽 レーベル名はねえ……読み方わかんないんだけど、何と読むんだろあれ。ナパームというね、なんか超弱小レーベルから出ました。で、ネットで検索すると、買い方としては、あれ何て言うんだっけ、アメリカのサイトでディスコなんとかってありますね? 観客A 「Discogs」。 丹 羽 あそこに載ってます。僕の名前で検索すると反婆具が出てきて(http://www.discogs.com/artist/1081133-Niwa-Yoshinori)、たしか2〜3日前にたまたま見たんですけど、たしか2ドルで安く出てました。だから、そこで送料アメリカ分くらい払って、っていうのは可能ですね。 観客A はい、ありがとうございます。 丹 羽 あともう1個。カセットテープも出してるので。当時ノイズレーベルの間では、カセットテープがいいんだという訳のわからないのが流行ってて。 観客A いつごろでしたっけ? 丹 羽 2000年か……1999年、1998年……? あのA面/B面でこう、出すみたいなのがありました。それも買えます。 観客A ありがとうございました。 アツミ もし、佐々木さんのレーベル(HEADZ)に丹羽さんみたいな作品が送られてきたら、どういう風な反応をされるんでしょう? 丹 羽 まだ聴いてないじゃん。 佐々木 それはわかんないですよ、聴かないと。 丹 羽 あ、そういうのが送られてくるんですか? やっぱり、佐々木さんのもとに。 佐々木 もちろん、送られてくるのありますよ。 丹 羽 どれくらい送られてくるんですか? ちょっと脱線した話ですけど。もう、毎日毎日ですか? 佐々木 いや、そんなことないですよ。でも、送られてきたもので、そのまま聴いて良かったから、うちからCD出たものも結構ありますけどね。僕もすごい、反婆具……今日の収穫というか。反婆具、聴かないとな。アップルミュージックにあるのかな? 丹 羽 ないと思うんですけど……。もう本当に探して探して辿り着けるかどうかくらいのレベルのアレなんで。 今っていうのは、どんな感じなんですか? もうメールで来ちゃったりするんですか? 佐々木 ああ、メールが多いんじゃないかな。メールというかダウンロードで、というのが多いと思いますけど。 丹 羽 郵送で来るってのは少ない? 佐々木 でも、割に最近までありましたよ。 今言ってた話が、僕すごい面白いなと思ったのは、今の質問で「いつごろですか?」って言ってて、1999年から2000年ごろって言ったじゃないですか。で、「1999年から2000年にやってることなのこれは?」と。つまり、カセットテープをチェコに送るみたいな、もう一応インターネットあったろ? って。その、ある意味、時流と全然無関係に自分の中があるみたいなのが、丹羽さんの活動の仕方とシンクロしていると思うんですね。だから、その……つまり何だろうな。さっきの話ずっと聴いてたら、高校のときに友達と楽器弾けないからノイズバンドやって、パンクやろうとしてもパンクもできないからノイズやって、カセットを送ったらチェコからデビューしたんですよというのは、僕の感覚だと1980年くらいの話なんですよ(笑)。それは20年くらいズレていて、20年経ってもそういうことやってる。だから何て言うんだろ、ある意味では一種のアナクロニズムなんだけど。本人は別にわざとやってる訳じゃないから、そういうのが、たとえば美術の、美術史とか現代美術ってものに対する丹羽さんの立ち位置みたいなものとすごくパラレルだなと。聴いていて、それがすごく面白かったなって気がしましたけどね。 アツミ それってアート作品として見ると、もうカセットテープ自体がファウンドオブジェクトで、そこにガラクタの音、ノイズを詰め込んで送りつける。それこそ、ある種アナクロニズムを通り越えた、SFの世界にある、あえてガラクタを詰め込んだという、それ自体…… 丹 羽 どうだろう……。そこまで意識したことは当時はもちろんないし……。おそらく僕からの意見だと、もう経済的機材的な要請が大きい。 佐々木 そうでしょ、そうでしょ。 丹 羽 金もないし、何もないから。 佐々木 カセットがあったから、カセットで送ったってことでしょ? だから、リバイバルでさえないのは、面白いなあと思う、すごく。「あるものを使った」ということじゃないですか。自分ができる方法で……。 丹 羽 録音機材もないから、拾ってきたラジカセで。あれ録音できるじゃないですか。小さいマイクが付いてて。 佐々木 そうですよね。それ、どう聞いてもね、1999年の話じゃないなって。それがすごいなあと思う。 アツミ ギリギリの原理主義みたいなところあるかもしれない。 丹 羽 え? え? アツミ 原理主義というかもう、目の前にある切羽詰まった状況で根源的な……。 丹 羽 え? 切羽も何も詰まってないと思う。「もうあるから、それでやるしかない」みたいな。使えるお金、高校生は限られているわけだし。1000〜2000円でも大金だし、ラジカセで録音できるなんて革命的ななんか。 佐々木 革命って…… 丹 羽 CDで録音できるなんて思ってないわけだから。その、下のレベルでどうやって伝えるかというところをやってるわけだから、もう関係ないよね、その当時。 本 田 すごいブリコラージュ的なところがあるんですかね? 丹 羽 おお、びっくりした……(Skypeの音声に)。 佐々木 まさに、そうなんじゃないですかね! 今誰が喋ったんだろうと……(笑)。 一 同 (大爆笑) 丹 羽 本田さんだ。観客の声かと思ったんですが……。 佐々木 声がすごい鮮明だったので……。 丹 羽 え、ブリコラージュ? ブリコラージュって何? 本 田 手元にある…… 丹 羽 手元にあるものを寄せ集めた、ってこと? 本 田 はい。 丹 羽 あ、もちろん。同じこと言ってると思うけど、たぶんやってる側としては意識は全然そこにはないし、ブリコラージュって言葉も知らないし、本人たちがそう思っているというよりは、本当にもう「手当たり次第」というのが正しいかもしれない。 佐々木 手当たり次第……(苦笑)。 丹 羽 高校生の。だって全然……10代の17、8のころと、今32だけど、32の経済力と、使えるものって全然違う。ネットもあったけど、パソコンも親に買ってもらえないとか。 佐々木 ああ、そうだよね。だからさ、にもかかわらず海外でCD出したいのがすごいよね。CD作ることはできるじゃないですか。だけど、それをチェコに送るのが面白いね。 丹 羽 たぶん本当は、得体の知れない人に送りつけて何か反応を見るってのに、熱意を燃やしてた。 佐々木 たぶんそうですよね。それとルーマニアに行っちゃうとかそういうのがまったく同じで。 丹 羽 だから、どんどんネットができて世界が小さくなっちゃうと言われてるかもしれないけど、わかんないところに自分を持って行けるとか、そういうところに当時から興味があったというか。知らない人とどうやって出会うんだとか、たまんなく興味があった。だから、まあ、何だっけ。ブリコラージュ? っていうのは、まあよくわからないけど、本当に自分の目の前にあるものを使って、どこまで遠くに行けるかってのをやってる。 ― 東欧への関心が「共産主義」と結びつくときアツミ やっぱりチェコも東欧なわけですよね。東欧への憧れというのは? なぜ東欧なのか? 丹 羽 いや…… 佐々木 なぜ東欧なのか、というのがコミュニズムになるのかなと、聴いてて思ったんですが。だからむしろ、共産主義どうのこうのっていうのは、共産主義に対しての何らかの、結構ちゃんとした意味での信奉があってこういうことになっているというよりも、遠くに行きたいとか、名古屋出身で東京の大学に行った日本の人が、一番遠くに行くっていうことを何となく考えたときに、1つ出てくるのが東欧みたいな国で。東欧が、大きく言うと共産主義の国だと。で、「共産主義いいよね!」みたいな感じになってたのかなあ、みたいな。 丹 羽 おそらく、割とドンピシャみたいな感じで。 佐々木 それがやっぱり、面白いですね。 丹 羽 どこでこう、モノを捉えるかってことがあって。たとえば、アツミさんは共産主義って言われたときに、内容で捉える。でも、僕は佐々木さんが言われたみたいに、共産主義と言われたときに思い浮かべたのが東欧とかチェコとかルーマニアとか…… 佐々木 (ニコラエ・)チャウシェスクって思ったことですよね? 丹 羽 そう。真っ暗でなんか、すごい暗そう。街もボコボコなんだろうなって。 佐々木 それは怒られるわ、それ(笑)。 丹 羽 だろうなと思ったんですけど。 佐々木 意外と。 丹 羽 いや。本当にボコボコなんですよ、電車。 佐々木 ボコボコって……。 丹 羽 1ヶ月の電車の乗り放題500円みたいな。ご飯10円みたいな。ま、そういう世界が。僕が行った当時、2007年くらいまでまだあって。もちろん、今はもう上がってるんですけど。 佐々木 急速に上がってる。 丹 羽 今は上がってると思うんですけど。当時まだそれくらいで。みんな路上で焚き火して、車が停まっちゃうとか。よくわかんないことをやって。そういう、何て言ったらいいんだろ……共産主義って言われたときのイメージとかチェコとかルーマニアって、なんか、その、あえてある種、上辺だけで1回捉えてそこから展開していくところに、関心があって。その上で、さっき言ったみたいに中に入り込むことができるかとか。まずは上辺だけで捉えて、そっから飛躍してみたいなことは、思ってるかもしれないですね。 アツミ 「限界芸術」という言葉とかありましたけど……。 (カンペを見て)休憩なしでOKです。 佐々木 僕がちょっと今日尻カッチンなんです。 丹 羽 休憩なし、はいはい。 佐々木 休憩なしも何も、休憩あるって言ってましたっけ?(笑) 丹 羽 休憩しているということにして、休憩していないということにしましょう。 佐々木 (PC画面を見ながら)これなんか止まっちゃってるんじゃない、向こうも。数分分聞こえなかったとか。あ、今直った。 本 田 落ちてました。また。 佐々木 ほら、落ちてたんだ。 丹 羽 ビデオが切れてんだ。 佐々木 回線が途切れちゃう、断線しちゃってた。 丹 羽 これでいいじゃないですか? 本 田 戻りました。 丹 羽 はーい。じゃあ。引き続き、休憩なしにしたそうなので、このまま行くそうです。17時まで。 佐々木 17時までというか、ロンドンでは朝の9時まで。 丹 羽 ああ、ごめんなさい。あと40分くらいとうことで。 ― 注釈を付けることで記憶を別の形で再生し直す本 田 1つ質問なんですけど、いいですか? アツミ はい、どうぞ。 本 田 あの、話したところの、丹羽さんの未知との遭遇というか、未知の領域と体当たりで遭遇するというか、そういうところが意識的にあるような気がするんですけど、この過去の日記(「天麩羅」)に、この本は、(本が入っていない透明カバーを指しながら)あ、中身はないですけど、ある意味、知っていたはずの過去に無理矢理遭遇しているというところがあると思うんですけど。コミュニズムの作品に関してとか、他の作品とかもそうですけど、体験したことのない、体験することができるはずのない政治的なシステムに無理矢理体当たりで遭遇していくというところがあると思うんですけども。一方で、この本も作品みたいな感じだと思うんですけど、これは、何と言うか、そういった過去の作品とは違うというか、ある意味、過去への介入をしているんだけども、「一個人として体験したことのあるもの」への介入というか、そういった意味ですごく違うところがあるなと思うんですが。 丹 羽 そうそう、それもあると思う。 本 田 どうしてなんでしょうか? 丹 羽 そうそう、自分の書いたメモが読めないときがあって、それすごい! って思って。自分の書いた文字が後で読めなくなっていくってのは、すごくたびたび起こるじゃないですか。がじゃがじゃって書いて、で、何書いたかまったく思い出せないっていう。でも自分が書いたのは間違いない。 佐々木 僕はしょっちゅうですけどね。 丹 羽 僕は割と面白いと思ってて、その現象が。自分が書いたことは明らかにわかってる、でも何が書いてるのかは1ミリも思い出せない、まったく思い出せないというのがよく起きるんですよね。でもそこには、明らかに自分が何か意志を持って何かを書いてる。アイデアか何かが書いてあって、そういった自分が昔書いたことがわかんなくなることがよくある。 で、日記もこれ本当に6年間分くらいあるので、後で今読むと、本当に何があったのかよくわかんないことが書いてあるんですよ。で、「このとき●●をした」みたいな、どこどこで誰と会って、誰々さんと……って固有名詞が出てくるんですよ。「あれ、でもこの人知らない」みたいな人が出てきて、「あれ、これ何やってるんだろう?」ってことが起きていくんですよ。でも、自分が書いたってことだけは明らかに残っているから。それを、何て言うんだろ……もう1回僕が注釈を付け直すことによって、自分の記憶をまた別の形で再生し直そうと思って。だから本当にあったこととは別のことかもしれないけど、その注釈を付け直すことによって、もう少し輪郭がハッキリしてくる。だけど、それは日記を書いたときのそのままじゃなくて、「A」が本当だったら、「A’」みたいな状況が作れるじゃないか、と思ってそういうことをやったんです。それも未知との遭遇かもしれないけども、あの、言葉を使ってそういうことがでるかなと。 だから、それはビデオとか僕がやってる、ルーマニア行ったりモスクワに実際訪れて、何か人と会って、人とやりとりをして起きること、とはまた別。自分の中だけでやることなんだけども、また新しいことができるじゃないかと思ってやったちょっと新しい試みかなと思う。まあ、この後どういう風に僕に影響するか、ちょっとわかんないけど。 本 田 それを本にすることによって、ネットという環境から出したいということを、とっても最初のころに言っていましたけど、それってどうして? 丹 羽 あ、多分、ネットがこれだけ普及した今が、この本を出すきっかけにおそらくなってると思う。すごい大きい理由にはなってないけど、うすうすやっぱり、僕が1999〜2000年で東京に来て、住み始めたころにやっとGoogleが出始めて。最初Yahoo!だったよね。で、Yahoo!があって、そのあとGooとか出て、なんかいろんな検索サイトが乱立してた時代があったと思うんだけど。そのころ僕、「ヤバい」と思って。「これは言語に負ける、言葉に負けるじゃないか」と、「僕らの言葉どこか行っちゃうんじゃないかな」とずっと思ってて。Googleは敵だと最初思ってて。でもいつの間にか、Googleしかなくなるみたいな状況になりつつあると思うんだけど、そこになんとなく来ちゃった。でも最初のころは、言葉で検索するとなんか、危ないじゃないかと思って、なんか予感がしてて。みんな言葉で検索するし、これなんか悪魔の扉みたいなのに引き込まれるんじゃないかという風に思っていて。 それもあって、内容もよくわからない日記みたいなのを2004年ごろからつけるようになった。で、今のTwitterとかは140字の制限があるけど、それよりずいぶん長い文章を書いていて。だいたい1日2000字とか3000字とか、長いときはもっと長いのを、バーッと書く。で、推敲しないで、誤字脱字そのままで載せちゃうのをやり続けていて。それはちょっと修行みたいなところがあって、1日終わったときに家に帰ってきて10分くらいで「じじじじ」って書いて、何も考えずアップロードする。それを別に次の日見ないし、また次の日、何かがあったら、それをバッて書いてネット上に載せる。こういうことをやったのは、結果どうなったのかわからないけど、僕個人的にはGoogleに対する何か反抗をしたいんじゃないかと思っていて。まあやり始めて、それが今ネット上にも置かれてるけど、まあこういう形で本に、とりあえずはしてみる。まあわからない、これの評価というか、これを次どうしようかってのかまだ考えてないけど。まず、そういうことやってみたということですね。 |
(次頁 4/4P へつづく:>> 「ディテールを見る」ことの中にあるもの) |
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